仕事をしていると「この瞬間があるから俺は仕事を続けている!」なんてことがあったりしませんか?
人によってそう思う瞬間は違うと思うのですが、
たとえば、売り上げ目標を達成した時。
たとえば、お客様の喜ぶ顔を見れた時。
何気なくいつも通りに仕事をしていても、そういった瞬間があったりすると嬉しかったりしますよね。
ちなみに自分が最近嬉しかったのは、売り上げを見た時に数字が全部7揃いだったことです…ちょっと違うか笑
さて、今回紹介する転職体験談は「生徒が志望校に合格した時の顔」この瞬間が好きで仕事を続けてこられた37歳の男性、天野さんー仮名ーの転職体験談です。
天野さんのプロフィールを簡単に紹介すると…
天野さんは大学を出て進学塾で講師として仕事をされるのですが、年齢とともに生徒に教える業務から次第に離れてゆきます。
もともと生徒に教えることにやりがいを感じていたハズなのに、それができなくなり塾の講師への情熱も冷めてしまうのです。
しかし、転職をすることで再び講師としての情熱を取り戻すのですが、進学塾ではなく別の塾で講師としての情熱を取り戻します。
天野さんが転職した先はどのような塾だったのでしょうか。
勤続年数が長くなってくると、実務から離れてマネジメントの仕事が増えてくるのは仕方のないことですよね。
でも、マネジメントよりも実務をしたい!といった人もまた多くいるのです。
塾講師として情熱を持って仕事をしていた天野さん。どのような転職活動を経験されたのでしょうか?
もくじ
仕事についても本当に興味のあることしかしたくなかった。
私は現在37歳の男性です。現在の職場に勤めて4年程になります。
現職する以前は、塾で講師をしていた。現在の職場も塾ではあるのですが一般的な塾とは違い少し特殊な塾になります。
どういった経緯があって現在の職場に転職をしたのか、私の塾講師からの転職体験談を書いてみたいと思います。
私は幼い頃より物事に対してかなりの飽き性な部分がありました。
日常生活においても好きなことにはものすごく没頭するが、興味のないことには全く手もつけないような性格でした。
なので、少し興味があるかも?というだけでは「働いてみたい」と思うことがあまりなく、私自身が十分に納得をして本当にここで働いてみたいと思うまで履歴書の提出もせず、また面接にすら行きませんでした。
このような性格も手伝って、転職活動でも人より時間がかかったのかもしれません。
それに、飽き性な部分とは別に、私には変に負けず嫌いな部分がありました。
スポーツにおいても誰にも負けたくないという想いが強く、私が好きなスポーツをする時には例え遊びであっても、前もって何度も何度も練習するというような性格です。
野球やサッカーなどメジャーなスポーツだけでなく、ボウリングやダーツなどに対しても好きなものにはとことん熱中するといった感じです。
転職活動においても「この仕事がしたい!」と思う仕事があれば、面接前には何度も志望理由を練習し、自分の納得のいくまで試行錯誤を繰り返しました。
また、人見知りをしない性格が功を奏し、面接中は緊張せず人事の方とスラスラと会話ができイレギュラーな質問にも対応することができました。
ひょんなことから思ってもいなかった塾講師に。
先にご紹介したような私の性格のため、大学を卒業してからの3年程は「コレがしたい」といった仕事も見つからず、ボーっとしておりました。
そんなある時、母方の叔父から
「中学3年生の甥っ子の家庭教師をしてくれないか?」
と連絡があったのです。
人に勉強を教えたことは無かったのですが、私が小さい頃はよく遊びに連れて行ってもらったり、お世話になっていた叔父だったこともあり、引き受けてみることに。
甥っ子の勉強を見てみると、可もなく不可もなくといった感じだったのですが、模試の成績を見てみると、志望校に合格するにはまだ勉強が足りないという状況でした。
そこから週2回ほど叔父の家に通い、甥っ子の家庭教師をしていました。
人に勉強を教えたことが無かったのですが、私なりの方法で勉強を教えました。
- まず甥っ子に志望校の過去問をさせる。
- 間違ったり分からなかった問題は、同ジャンルの問題を参考書で基本から学び直す。
- 再び志望校の過去問。
といった内容の、私が大学受験の時に行っていた勉強方を地道につづけました。
すると、私が家庭教師となって半年後の模試では甥っ子の成績は志望校の合格圏内に。
模試の後でも、地道に同じ勉強方を続けました。
その結果、甥っ子は見事に志望校に合格をすることが出来たのです。
叔父や叔母は見たこと無い程に喜び、甥っ子も泣いて喜んでいました。ついでには私の母親まで泣いて喜ぶ始末…笑
この時に思いました。
「楽しい!」
ただ叔父に頼まれたから仕方ないと請け負った家庭教師でしたが、甥っ子よりも得た物が大きかったのじゃないかと思うぐらい、私の中で勉強を教えるという仕事が終ってみると面白かったのです。
この時に閃いたのです。「進学塾の講師をしよう!」と。
家庭教師ではなくなぜ塾講師を選んだかというと理由は単純です。
生徒が多ければ多い程、喜びも大きいのではないか?といった理由です。
大学在籍時や卒業してから「塾講師になりたい!」なんて思いは頭の片隅にこれっぽっちも無かったのですが、不思議なものです。
その後私は、市街地にあった中学生向け進学塾の講師として勤務することになります。
約9年間ほど塾講師を続けました。業務内容としては、
- 高校入試のための科目指導
- 生徒それぞれの勉強の進み具合を見るためのカルテの作成
- 高校入試や英検の面接指導
- 生徒を集めるため塾の経営戦略
などが塾講師としての業務内容でした。
教え子達の性格はそれぞれ違い、また勉強の進み具合や理解度もそれぞれ違います。
教え子一人一人に合った指導をするのに苦労をすることもありましたが、テンプレートではない業務内容が逆に飽きなかったのです。
塾講師の仕事は私にとっては楽しみながら出来る仕事でした。
時には勉強だけを教えるのではなく、人生についてや価値観なども教えることがありました。
高校受験に成功し、その後大学に行って就職するだけが全てだと思わせたくなかったためです。
塾講師をしていた時の一番の喜びは何だったかと言うと、やはり生徒達が志望校に合格した時でした。
中でも私が一番嬉しかったのが、合格をして入学をするまでの間に「これで思いっきり遊べる!」というような表情を生徒達が見せる時でした。
合格すると当然塾はその時点で終わりになってしまうため寂しいものがありましたが、受験という重荷から開放された生徒達の表情が私の喜びでもありました。
私が塾講師になった時はまだまだ小さな塾だったのですが、勤務年数が経つに連れ塾も次第に大きくなっていました。
私が違和感を感じ始めたのは、少し離れた地域にも別教室を開こうとしている時でした。
生徒数が増え塾が大きくなるにつれて、生徒達と講師の間に距離ができ始めたのです。
それと、私の業務内容も生徒に教えるという業務から、講師のマネジメントなどの業務にシフトしていったのです。
私の塾講師としての喜びは、キレイごとのように聞こえるかもしれませんが「生徒達に親身になって教える」ということだったのです。
次第に私の塾講師に対する気持ちが冷めていったのです。
これが私が転職以前にしていた仕事と、転職することになったきっかけです。
塾講師を退職し、転職エージェントから紹介されたのは…
当時の仕事だった塾講師への熱が冷めていくと、私の性格からしてその冷めた気持ちを戻すのは無理に近いことは自分で分かっていました。
私は塾講師を辞め、次にしたいことは何かと探しつつ、転職活動をはじめることにしました。
塾講師への熱が冷めていたので
「なにか別の仕事を…」
と考え、有名どころの転職サイトにはほとんど登録をして、興味のある仕事はないか探したのですが、一向に見つかりません。
転職サイトのスカウト機能なども活用して探したのですが「したい仕事」が無いのです。
しかし、大学を卒業した頃のように悠長なことは言ってられません。既に私も30代になっていたため焦りはじめたのです。
転職先を紹介してもらうのではなく、「どうやって仕事を見つければいいのか?」とアドバイスをもらおうと思い、転職エージェントに相談することにしたのです。
転職エージェントの方のオフィスへお邪魔し、話を聞いていただきました。
私が前職の塾講師には愛着があったこと。塾が大きくなるまでは「続けていたい」と思っていたことです。
30歳を過ぎた男が、こんな話を初めてあった転職エージェントに相談をして泣きそうになったのを覚えています。笑
しばらくすると転職エージェントから連絡があり、いくつか転職先の候補があるということだったので、詳しい話を聞きに訪れました。
エージェントから提案された職種は、前職と同じ塾の候補が3社ほどありました。
「また塾か…」
と思いつつ、エージェントから詳しい話を聞いていたのですが、その3社の中の1件の塾の話を聞いた時に興味を持ったのです。
それが、障がい者の子供達のための塾でした。
なぜ私が興味を持ったのかというと、私が小学生だった頃に近所に住む幼馴染が足が不自由で学校や塾に満足に通うことが出来なかったのです。
そのため、その幼馴染の友人が学校に来れなかった時には、私が遊びに行くついでに授業の内容などを教えていたことを思い出したのです。
その日は転職エージェントに興味があるとは伝えなかったのですが、家に帰って調べてみると、その障がい者のための塾を「良いかもな」と思い始めたのです。
3日後ぐらいに転職エージェントのオフィスへ訪れ、その塾のことを詳しく聞きました。
どうやら、その障がい者のための塾の求人は非公開だったようでした。
話を聞いてみるとその塾は、20代の塾講師経験者を探しているとのことです。
しかし、私は塾講師経験者ではあるけれど30代…
「なぜ私に?」
と転職エージェントに聞いてみると、
「もしご興味がおありでしたら、私の方から30代の方でも構わないか聞いてみますよ?」
とのこと。私は二つ返事でお願いしました。
転職エージェントに先方に確認をしてもらったところ「ぜひ面接に来てください。」と快く返事をいただき、面接を受けました。
面接では、小学校時代の幼馴染の話や、前職の塾講師をしていた頃の思いなどを話ました。
すると翌日には採用となったのです。
実は面接の当日私の面接をしてくださったのは、塾の代表だったのです。
転職エージェントや塾の代表とこした縁があって、私は現在もその障がいを持つ子供達のための塾で働いています。
転職をして取り戻すことができた塾講師としての情熱
障がい者のための塾に転職をしてどうなったかと言うと、
前職の塾で働き出した時に感じていた、塾講師としての情熱を取り戻すことが出来ました。
一時期は「もう塾講師は無理だ…」と追い込まれていたのですが、障がいを持ちながらも学ぼうとする生徒たちの熱意によって、私の情熱も取り戻すことが出来たのです。
収入に関しては前職よりも少し下がってしまったのですが、生活は問題なく出来るので対して気にはなりませんでした。
現在、障がいを抱えてコンプレックスを感じている子供は多くいます。
また子供達だけでなく、両親ですらそのように感じている人も多いのです。
しかし、障がいを抱えているから社会的地位が下だと考えるのは間違いです。
なぜなら大企業で活躍している人などの中にも、発達障がいなどを持ちつつ世の中に貢献している人が大勢いるからです。
障がいをもつ子供のご両親には、これからの成長の仕方しだいで無限の可能性を秘めていると思って頂きたい。と思いながら私も現在の仕事を続けています。
この転職活動は私にとっての人生の転換期であったと思います。
改めて塾講師として、子供達が成長する姿を見たい!ということを認識させられた転職でした。
コメントを残す